なんでもないこと、みーっけた

飽きずに綴っていけたらいいな

2年半ぶりの渡韓の話

こんにちは、みけです。

気づけばもう4ヶ月が経ちましたが、2年半ぶりの渡韓の記録を残しておきたいと思います。その後何回か飛んでるので今更感がありすぎますが、フォロワーさんが旅の記録書かれてるの見て「私も残そう!」と刺激を受けたので、今更ながらブログにしてみました。すぐ影響を受けるところは2年半経っても変わってません!これからも流されて生きていこうと思います(何の宣言)

 

さて、時を遡って8月6日。前回の渡韓が2月中旬だったので、本当にほぼ2年半ぶりの渡韓となりました。当時はまだ韓国入国前の検査も入国後の検査も日本帰国前の検査も必要で、仕事的にはかなり厳しい状況でした。他の会社員の方もそういう方が多いと思うんですが、職場に言えるような状況ではないし、万が一秘密で飛んで韓国で陽性が出てしまった場合にとんでもないことになる。隔離期間が終わってすぐ帰国できるなら日本でかかってもそんなに変わりませんが、PCR検査は一度陽性になるとなかなか陰性が出ないとの話も多く、陰性が出るまでは日本に帰国ができないという状況でした。2週間で帰れればいい方、下手したら1ヶ月以上帰れない可能性すらある。そんな状況だったので、観光ビザ解禁のニュースを見ても、自分とは関係ないなと思っていました。この2年半、きっと世界規模では様々な理由で苦しい人がたくさんいて、みんなが日常を渇望していて、それに比べたら私の苦しみなんてちっぽけなものだとは思うのですが、仕事やプライベートでしんどいことしかなくて、毎日目が覚める度に「ああ、今日も目が覚めてしまった」と涙が出るくらいには落ちてました。元から豆腐メンタルさに定評のある私ですが、ちょっと自分でもここまでずっとしんどいのは初めてだな?これはちょっとやばいぞ?と思い、岡山に弾丸散歩に行ったりもしました。(散歩の定義とは)何かきっかけがあれば変われるかもしれない。断ち切れるかもしれない。そう思い、早朝の新幹線に飛び乗り、夕方に帰宅。パワースポットと名高い神社で清々しい空気を浴びたり大学受験ぶりの大吉が出て泣いたりしながら(情緒不安定すぎやろ)、きびだんごを大量に買って帰宅。そしてお土産を渡した母からの一言。

 

「もう韓国行ってきたら?」

 

かかった時はかかった時よ、と。心配性で責任感のある母なのでまさかそんなことを言われるとは思わず、すごく驚いたのを覚えています。だけどそれくらい、毎日顔が死んでいる娘を心配していたんだと思います。正直岡山でほんの少し心が軽くなった気がしましたが、やっぱり本当の意味で心が晴れることはありませんでした。ちょうど6月1日に観光ビザが再開、私が岡山に行ったのは6月2日。母の一言で、その日から、渡韓について少しだけ前向きに考える日々が始まりました。

 

そして、7月1日。推しが出演するコンサートが発表されました。8月7日。今から準備すれば、観光ビザの取得も間に合います。実際に行けるかは、わかりませんでした。それでもオンニ達に、「最善は尽くしてみる!」と伝えました。2年半会えなかったオンニ達は、会えない間もずっと私と一緒にオタ活をしてくれました。観光ビザが再開された時もいちばんに「これで来れるね!」と連絡をくれました。行けない理由を一生懸命伝えるのが辛い時期もありましたが、私がオンニ達に会いたいのと同じくらい、オンニが自分に会いたいと思ってくれてることがすごく嬉しかったです。そして、ついに、前向きに頑張ってみることを伝えることができた日、オンニ達はすごく喜んでくれました。渡韓する。もう二度と来ないかもしれないと思っていたその日が、確かではないけれど実現に近づいた日でした。

 

準備は比較的スムーズに進みました。私が領事館にアクセスしやすい地域に住んでいたこと、まだ予約制じゃなく並べば申請できたこと、需要が増える前だったのでそこまで並ばなくてよかったことなどが相まって、とんとん拍子にマルチビザの取得ができました。あと数日遅れていたら予約制が発表されてしまっていて、予約制になる数日前の駆け込み長蛇の列に巻き込まれることになっていたと思います。また、ビザが完全に指定日、指定時間での受け取りを、とのことだったので、昼休みを使って受け取りに行けたことも運がよかったかなと思います。以前の働き方だったら絶対に無理だった。

 

飛行機は高めだけどキャンセルがきくものにし、宿泊先はオンニの家。ビザの申請にあたってオンニの住民登録証のコピーまで提出しなくてはいけなかったので申し訳なさすぎて「私やっぱりホテル泊まるよ><」と伝えたのですが、即メールで送ってくれました。優しすぎる。何かあった時の連絡先にも使っていいよと言ってくれて、現地でのPCR検査の緊急連絡先などにも使わせてもらいました。

 

渡韓までの1ヶ月は、とにかく色々なことを調べまくりました。向こうで陽性が出てしまった時のために仕事用パソコンを繋ぐためのWi-Fiの準備、海外旅行保険、自宅療養先を探すためのアカウント、電話番号付きのSIM(保健所からの連絡がsmsで来るとのことだったので)、陽性が出続けて帰れない場合の領事レターの送り方、などなど、かかること前提かってくらいたくさんの準備をしました。この頃にはもうたくさんの方が渡韓されてて、ツイッターやnoteで情報共有してくださっていたので本当にありがたかったです。

 

前置きがあまりにも長くなってしまいましたが、胃が痛くなりながらの1ヶ月が過ぎ、ついに念願の!!!渡韓!!!!!

 

 

仁川行きの搭乗ゲートの前にいる、そんな以前だったら日常そのものだったことすら夢みたいでした。仕事の関係で前日までにPCRを受けることができなかったので、当日の朝に空港で受けて陰性であれば出国!というスリリングな計画。陽性が出た瞬間、何のためにパンパンのキャリーケースを持ってきたのかわからない状況になります。前日は渡韓へのドキドキよりも検査へのドキドキで眠れませんでした。こんなに寝れないことある!?ってレベルで寝れませんでした。なので陰性が出た瞬間は本っっっっっっっっっ当に幸せでした。これでひとまず持ってきたキャリーケースが無意味ではなくなった。韓国には行ける。ひとつミッションをクリアして、かなり心が軽くなったことを覚えています。

 

そしてあっという間に到着!何年ぶりでも馴染みのある空気に安心しました。

 

そしてPCR検査場へ。私が行った頃は入国後3日以内の検査が必須だったので入国してすぐに受ける必要はなかったんですが、オンニ達に会うし、多くの人がいるところに行くこともあって、その前に陰性を確かめたかったんですよね。後は帰国の心配をしながらだと楽しめなさそうでもあり。

 

結果出るのが4時間後と言われましたが、不安なまま街をうろうろするのもな、と思いひたすら検査場前で待ちました。そして、1時間と少し経った頃。無事に<陰性>の結果が。オンニ達に「陰性出たから会えるㅠㅠㅠㅠㅠㅠ」とカトクを送り、出発です。ちなみにオンニのひとりが私を迎えに空港まで向かってくれていたのですが、私の結果が出るのが早すぎたためにオンニが空港まで到着できず、途中の駅で落ち合うことになりました。なので2年半ぶりの感動の対面が地下鉄内という不思議なことに(笑)

 

オンニと落ち合ってからはスタバへ。ちょうどこの頃飲んでみたいメニューがあって、その話をしたらもうひとりのオンニがギフト券を贈ってくれたので、ありがたくごちそうになりました。

 

飲みたかったのはこちら。めちゃくちゃ好きな味だったんですが、めちゃくちゃ暑かったのもあって最高に美味しかったです。久しぶりに来た弘大の街並みは、変わってるような、変わっていないような。そもそもそんなに通っていたわけではないので前との比較も難しいですが笑、活気で溢れていました。

 

その後、家で待っているオンニに会いに行く前に、もう一軒。最近流行りのぬい服屋さんの実店舗があるとのことで、そこに行ってみたかったんです。ただ思ったよりも遠いのと坂だらけの先にあって、その後オンニに会った時に「まずシャワー浴びて」って言われるくらいには汗だくでした(笑)

 

ネットが主流なぬい服屋さんなので、こうやってお店に並んでるのがすごく新鮮で楽しかったです。

 

そしてオンニの家に!この辺りは個人情報なので割愛しますが笑、無事にオンニに再会!そして、ずっと前から行こうって約束していたバー<アスロンガ>に向かいました。

 

(もっといい写真あったやろ)

 

会えなかった2年半の私の口癖は、私のこと色々考えてくれて色々送ってくれるオンニ達に「アスロンガで奢るから!」でした。その約束がついに、現実に。何もかもが嬉しくて、終始ふわふわしていました。久しぶりに大学路に降り立つ私の動画をオンニが撮ってくれていたのですが、完全なる観光客です。初めてのソウルを楽しむ観光客です。

 

 

話がそれましたが、アスロンガはすごくおしゃれなバーです。

ワインがおいしいとのことでワインをボトルで頼みましたが、全然飲めなくてオンニに押し付けました。オンニごめん。

 

おつまみ的なのも全部おしゃれ、かつ美味しかった!

アスロンガのあとは、カラオケへ!

特段「カラオケ行きたい!」って言った覚えはないんですが、みけカラオケ好きだもんね?行きたいでしょ?と言ってくれ…ㅠㅠ 韓国行ったらカラオケ絶対行く!って思ってたので嬉しかったです。

 

大学路にあるカラオケ。

 

コロナ禍によく聞いたたパク・ウォンさんの歌をうたいまくってたら、悲しい歌が多いと突っ込まれましたが…。(歌詞あんま聞いてない)

 

カラオケの帰りはオンニのおごりでコンビニでメローナ!

ずっと食べたいと思ってたのでこれも念願がかないました…!久しぶりだねメローナ!

 

翌日はひとり早起きして、ナクサン公園へ。

お供はバナナウユ。

 

ソウルにちょっとだけ住んでた時によく行ってたナクサン公園は、コロナ禍でも変わらずそこにありました。(当たり前)

 

隙間から見えるうちの大学楽しんでみたり。

 

朝の散歩が終わって帰ると、なかなかいい感じの時間になっていたので準備をしていざ、会場のある街へ。

 

会場近くのお店で昼ご飯。ここ美味しかったんですけど、最寄り駅すら忘れてしまいました。初めて食べたカルボナーラトッポッキも美味しかったのでまた食べたいな。

 

開始時間を勘違いしてて時間が余ったので文具屋さんによってみたりしてたら、あっという間に開場時間。

 

ついに……。

オンニがとってくれた良席。始まる前から泣きそうでした。

 

汚い手ですみません!オンニがくれた指輪。別のオンニがもらっときなよ~って冗談で言ってたらほんとにくれた…。今回行ったのはザ・デビルのコンサートだったんですが、本公演中のグッズだったとのこと。

 

マチソワだったのでマチソワ間にみんなで間食したり。

コンサートももちろん最高で、2年半ぶりの推しを堪能しました。

(感想は???????)

 

あっという間に時間が過ぎて、帰国。オンニが私のためにたくさん買い置きしてくれてたバナナウユをキャリーに詰めてオンニの家を出発。私のためにパジャマ買ってくれてたり布団買ってくれてたりでとにかくもう感謝しかない2日間でした。朝イチ便だったのでオンニが家の前まで呼んでくれたタクシーでソウル駅へ。その後は乗り慣れた空港鉄道で空港へ。

 

めちゃくちゃおいしかったこれをまた飲んだりしながら搭乗口に向かったのでした……。

 

4ヶ月も経つと詳細な記憶が薄れてしまって渡韓できるようになったことへの喜びとかも薄れてきてたんですが、今回のブログを書きながら、渡韓できるようになってほんっとによかったなあって改めて感じたので、もっと当たり前に渡韓できるようになったとしてもこの時の気持ちを忘れずに楽しみたいなと思いました。(作文?)

渡韓前になって家族がバタバタとコロナになったりして、もうダメかもな…って何度も思ったし、これで渡韓できなかったり推し見れなかったら今後の渡韓諦めてバイクで日本旅でもしようって思ってたので(極端すぎでは?)、行けたことは奇跡にしか思えなかったんですよね。あの時感じたたくさんの人への感謝を忘れずに謙虚に生きていきたいです。旅行記の書き方を完全に忘れてしまい、謎の締めになってしまったみけでした。

 

(今までもまともな旅行記書けたことないよ)